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Beck / Mellow Gold


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Beck /   ”Mellow Gold” / 1994

 






10年以上前のこと。大学生だった僕は自主映画を作っていた。
8ミリフィルム、モノクロで、ファーストシーンにビラがいっぱい散らばったワンルームで主人公の男がTV画面の「砂嵐」を眺めてる。そういう、いかにも「難解ホークスやってみました」みたいな映画だった。

そのファーストシーンのビラだが、そのビラには何が描かれているのがいいかってことをいろいろ考えていたとき、同じサークルだった友人が僕の隣でギター弾いたりゴロゴロしたりしながら、なんか粗雑だけれどポップな雰囲気の人物のイラストと英語の文章をA4の紙に書き散らしていた。

「これにしよう」。
僕はそのイラストと英文が書き散らされたA4用紙をもらって、そいつを大量に100枚ぐらいコピーした。それをロケ現場(というほどのものでは勿論ないが)のマンションの一室にばら撒いて、映画のファーストシーンを撮影した。

実はそのイラストに描かれた人物がBeckで、添えられた文章がLoser のサビの部分の、あの有名なフレーズ、“Im a loser baby, so why dont you kill me?”だったということを、僕はおよそ10年過ぎてようやく最近分かった・・・・・・。

そういえば、その友人が「ベック」という名前を言ってたような曖昧な記憶を思い出した。そんで、それに対して僕が「え?ジェフ・ベック?」とか、何度か訊いてたような気がする。



僕が初めて聞いたBeckのアルバムは、確か“Sea Change”で、“Guero”が出る直前だった。「なんか暗い・・・・」と思いながら、次にその前作“Midnite Vultures”を聴いて、打って変わってファンキーでノリノリに驚いた。それから“Mutations”、そして“Odelay”を買って、これが一番かっこいいと思って、一番最後に1st の“Mellow Gold”に辿りついて、最初の曲の歌詞を見て「ああ、これだったんかいな!」ということになったわけだ。

Beckはよく、「折衷主義ロック」とか言われたり、「ミクスチャーロック」のカテゴリで紹介されたり(厳密には誤りだと思うんだが)する。確かに“Odelay”なんか「折衷」的方法論の教科書みたいな感じがする。それと TSUTAYA なんかではBeckのCDの紹介コピー文に、日本の Cornelius と同じみたいに扱われてたりする。それはもちろんBeckのアルバムの音楽的変遷がCorneliusみたく、アルバムごとにコロコロ変わって多彩でユニークである(悪く言えば節操がない)類似を指摘しているわけだが、僕はそういうBeckの、一つのカテゴリに収まりきらない音楽的スタンスに好感を感じる。一つの曲の中にフォークだとかブルースだとかヒップホップだとかテクノだとかを数珠繋ぎみたいにコラージュ、というかサンプリングするみたいな「折衷主義」ロックの方法論がなによりもBeckの魅力だと思う。

Beckのアルバムってのは音楽的ネタがそれぞれ結構幅が分かれている訳だから、「Beckの代表作を挙げる」みたいなことは難しいし、あまりそういうのは意味がないと思う。個々のアルバムについて一つ一つ主観的思い入れをたらたら書いていくようなのが妥当という気がする。そういうことをしてもいいんだけど、あえてここで“Mellow Gold”について僕が書きたいのは、例の「自主映画時代」にまつわる思い入れもあるのだが、Beckの中に同居しながら互いに相反するミュージシャンとしての輪郭が、上手くバランスをとって示されていると思うからだ。

例えば、“Odelay”なんかに顕著に現れているのは、限りなくポップミュージックに対して批評的な音楽性を投げかける革新的なクリエイターとしてのBeckの輪郭がある。こういうアルバムの中で見えるBeckのスタンスは、「リボルバー」を出した頃のビートルズの光景であったり、一連のアンビエント作品群を飛ばしまくったブライアン・イーノの姿であったりして、「先鋭」とか「実験」という言葉が当てはまる音楽至上主義的表現者のスタンスなのである。

だがそうかと思えば、実験的精神の塊みたいな“Odelay”の次作にひたすら趣味的作風を「盆栽みたいに並べてみました」みたいな“Mutations”、「踊れる音楽」を多彩に独自的解釈する非常にテンションの高い“Midnite Vultures”の後に、単調なトーンで「私小説」の調べを紡ぐかのような“Sea Change”を出したり、Beckには必ず一つの創作に対して反動した作風をいきなりぶつけてくるような面白い特徴がある。

Odelay”や“Midnite Vultures”に代表される批評的音楽性、細部に渡って新しい発想を施す音作りの革新的クリエイターな姿とは、まるで対極に位置するような作品として“Mutations”や“Sea Change”がある。これらのアルバムの中では既存の幅広い音楽ジャンルを加工されない形でそのままの素材として借り出して、例えばごくプライベートな事柄を歌ったり、また非常に内面的な領域をテーマに据えてオーソドックスな方法で表現を「物語る」ことを追求していたりする。いわば、キャロル・キングが典型であるようなシンガーソングライターの系統を踏襲する音楽の文学的な素地へストイックに依拠する姿勢、シンプルなサウンドで歌詞やボーカルの力を前面に打ち出し、歌われる対象に対して多分に内的に表現しようとする作家主義的なミュージシャン、という、Beckには「先鋭」とか「実験」とは対局するもう一つの個性がある。

彼自身、自らのそういう互いに相反するミュージシャンの顔の要素が自らの中に同居していることをどのように考えていたのか。“Sea Change”を作った後、Beckは「もうこれを作ったら、後はなんでもいい」みたいなニュアンスの発言をしていたような記述を何かで読んだが、確かにそれ以降の“Guero”や“The Information”といった近作ではリラックスして臨んだ印象を受ける。本来の「折衷主義的」方法を前衛を背負うような性急な姿勢ではなく、やりたいようにやってる観がある。


だが、Beckの革新的クリエイターとしての側面と、フォークロックに本流を求めるような作家主義的な側面は、もともとすでに提示され、それらが最も理想的に昇華されたのが、1st の“Mellow Gold”であり、この作品を引っさげてやってきたところに「グランジの最終兵器」と呼ばれたような、Beckの独自性がロックシーンに叩きつけた当時の巨大な戦慄の空気が伺えるように思うのだ。

冒頭を飾るLoser の衝撃は、発表からおよそ10年を過ぎた僕の属する世界をも重い切実感を持って表象する、時代の経過に耐えうる普遍的(であることが悲劇的)なものだ。僕はこの曲でラップ音楽を受容することができたのだが、これを聴くと、例えばギャングスタ・ラップで歌われるような過激さがまるで保守的なルールの上できちんと整列する縛りをかけられたあらかじめ拘束された音楽にすら感じてしまう。またI'm a loser baby so why don't you kill me ?のフレーズの前では、かつてのNo,futureという最も有効的だった否定的言辞すらも、なにか未だやたら元気な余裕を持って健康に「主張」しているように聞こえてしまったりする。だが、Loser ではもはや「主張」どころか「対峙」すらしていない。全ての能動性を放棄して、自己を唾棄して、どこまでも脱伍してゆく感じがする。その「落ち方」がいい。

サウンドの部分の独自性だけでなく、Beckのボーカリストとしての個性がこのアルバム全体を多彩に彩っている。ノイジーな曲で現れる「アヒルの首を絞めたような」絶叫や発生も彼の音楽の不規則性を表現して鮮烈だが、もともとフォークを出自とした彼の「聴かせる」歌モノもいい。Pay No Mind なんかは僕はボブ・ディランを聴くのと似たような感慨を受ける。オルタナティヴなアルバムでありながら、こういった曲ではある意味正統的で、脈々と繋がるフォーク・ロックの道筋をオーソドックスに辿るような再帰性を感じるのだ。


Beckが1stで提示した彼の中の対極的な個性は、この後、2つの音楽的ピークとして次作の“Odelay”や、また“Sea Change”において、それぞれ違った彼の側面として迎えられることになる。だが“Mellow Gold”は1stであるがゆえの音楽的な飢餓感というか、初期衝動(脱力的なBeckにとっては独特のそれ)を持ち得てるがゆえに、やはりこのアルバムが一番好きな理由となる。




そういえば、最新作の“Modern Guilt”も出たんだっけ。


サークルの友人が描いたBeckのイラストは、まだ僕の部屋のどこか奥に残ってるかな・・・・・・。






22beck99.jpg








Mellow GoldMellow Gold
(1994/03/01)
Beck

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Modern GuiltModern Guilt
(2008/07/08)
Beck

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Suzanne Vega / Session at West 54th


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Suzanne Vega /  ”Session at West 54th” / 1997

 





ニューヨークのライヴ・ハウスでアコースティック・セットによるライヴ。来日記念ということで,日本だけの発売。

シンプルなフォークロックでNYの街を見つめる視点からインダストリアル・テクノで自身の内面世界を掘り下げる作風まで、さまざまな変遷をたどってきたスザンヌ・ヴェガが、もう一度アコースティックで自身の原点に戻った作品。ベースとギター、もしくはアコーディオンを組み合わせた最小の形態で過去の名曲をアレンジし直している.


最大の変化は彼女自身のヴォーカルスタイルだろう。1st からの“マレーネの肖像”や"Smoll blue thing"を呟く感じでのっぺりと歌っていたのを、歯切れ良くアクセントをつけながら力強く歌っている。


ギターとベースのシンプルな編成に、パティ・スミスを髣髴とさせるような低く語感の響きを際立たせるような歌唱力によって、“Cracking”、そしてヒット曲“Luka”が鮮やかに内省的な深みを帯びたアレンジに生まれ変わっている。スタジオ盤を凌ぐ完成度だ。


当時の来日ライヴはごく小規模なクラヴなどで行われていたが、わたしはチケットを手に入れながら、同日に催された映画監督の原一男の公開セミナーの方へ行ってしまった。死ぬまでわたしはこれを悔やみ続けるかもしれない。


それにしても“Gypsy”って名曲ですな。数あるラヴソングの中で一番好きかも知れません。


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西54丁目西54丁目
(1997/09/26)
スザンヌ・ヴェガ

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The Velvet Underground / White Light , Whight Heat


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The Velvet Underground /   ”White Light , Whight Heat” / 1968

 





このバンドの音楽と出会わなかったら、わたしは今とは別の人間になっていたんだろうなあ。


ビートルズもストーンズも追随を許さない永遠のインディ-ズロックのプロトタイプ・グループの2nd。


全ての要素を幅広く満たし完成度の揺るぎない1st に比べると難解度が増し、一段とコマーシャル性から遠ざかったが、衝撃度は1st に勝るとも劣らない。10代の頃からずっと聴き続けて、今でも新鮮でスリリング、色褪せないのは断然このアルバムである。


歌姫ニコの脱退により退廃的な幻想的文学性が退行する。その代わりにジョン・ケイルの音楽性の比重が増し、フィードバック・ノイズ、不協和音などのインダストリアルな現代音楽のアイテムが多用され、都市伝説の中でのカオス、発狂、暴力性と言ったものが表現の中核に座った。ウォーホルのファクトリーでの映像実験のような雰囲気。


同世代のミュージック・シーンがサンフランシスコに象徴されるサイケ・大麻による覚醒への世界ならば、ヴェルヴェッツは連続反復するフラッシュ光・スピードによる、NY の都市に反映されるノイズとカオスの現代文化の忠実にリアルな描写だろう。


タイトル曲のダラダラした反復のへしゃげたロックンロールのあと、“The Gift”では不条理小説の朗読とともにうねるファンク、ミニマルが回転のズレを起こしながら進行するような“Lady Godivas Operation”、ノイズの騒音が一気に解放される“I heard her call my name”、圧巻はラストの“Sister Ray”だ。前作での“Europian Son”で見せたコルトレーン・ジャズのロック的解釈といったものをここで更にオリジナルなアプローチへと拡大している。


スピードの打ちすぎによる路上の幻覚と事故死といった趣の“Europian Son”に比べ、“Sister Ray”はノン・ベースの執拗なオルガン、ギター、エレクトリック・ビオラ・とドラムのセッションの反復、その飽くなき脱線と調律の最大限の延長によって、死ではなく歌詞の中に出てくる“Live on !”に示されるような翻弄されながらリアルに曝け出される生への絶対的な肯定感に満ちている。


ヴェルヴェッツの叙情性を排した都市音楽性の主題の一側面を完成させたような傑作である。



VU_66promophot.png  (Nico 在籍時のもの)






White Light/White HeatWhite Light/White Heat
(1996/05/07)
The Velvet Underground





Steve Reich / Different Train


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Steve Reich /  ”Different Train” / 1989

 

Steve Reich   1990年
Reich: Different Trains, Electric Counterpoint / Kronos Quartet, Pat Metheny


1.Different Trains: America - Before the War
2.Different Trains: Europe - During The War
3.Different Trains: After the War
4.Electric Counterpoint: Fast
5.Electric Counterpoint: Electric Counterpoint: Slow
6.Electric Counterpoint: Fast




ミニマルの涯てに見えてくる反復され得ぬもの


ジョン・ケイジに並ぶミニマル・ミュージックの分野における現代音楽の巨匠スティーブ・ライヒの1988年発表作。


ジミー・ヘンドリックスの「紫のけむり」などのポップスのカヴァーで知られるストリングス・グループ、クロノス・カルテットとの共演。

話し言葉の断片や列車サイレンの音をテープで流し、弦楽4重奏の反復されたフレーズを少しずつコードを変えながら進行する。


ストリングスになぞられるように反復する言葉の断片によって紡がれる主題。

第二次大戦前の移民アメリカ人が乗った列車の人々の言葉。大戦中のナチスのホロコーストの生き残りの人々が語る体験談。そして戦後生き残った人間たちが辿っていく軌跡。

この三部構成が、本来のミニマル・ミュージックの諸要素を大胆に活用しながら、それとは対極的に、動機を徹底操作した作家主義的な堂々たる大作に仕上げている。


ミニマル・ミュージックは現代音楽のコンテクストであり、ミニマル(反復)とは現代の位相を語る上で根幹をなすテーマである。

コピーやサンプルの代替可能なシステムが人間性排除を生み出してくるミニマルの表層は無機質である。


しかしここでライヒが展開したミニマル・ミュージックは反復の上に人々の生のドキュメンタリーな言語と、美しい弦楽のフレーズの展開を巧妙に織り上げることで、ミニマルの表層を突き破る生き生きとした物語性を獲得している。

本来、物語性や作家主義的動機を軸としないポストモダンなミニマルの諸条件が、この作品においては作品全体の劇性構成に貢献し、ロマン派音楽のような楽曲の叙情性を形作り、作者のメンタリスティックな主題を雄弁に語らせている。


このドラマティックな展開はその辺の映画音楽の安直なメローなコード進行よりも、過程の紡ぎとフレーズ一つの位相の切実さによって、ライヒが辿りつくミニマリズムの極北に、図らずもコピーや反復のシステムに対峙するわたしたちの現代の生の姿を共感的に訴えてくる。


反復としてのミニマリズムを徹底的に追求して行き着いたところに、本来のミニマリズムとは相反した、反復し得ない一回性の立ち位置が見える。

楽曲の構成上では反復でしかないそれらの「独白」が歴史上の証言の言葉としての等身大の重さを伴って、反復され得ない世界と人間についての「いま」「そこ」の一回性を紡ぎ上げる。

そこにはミニマリズムが相対性の地平において決して解消することのできない、わたしたちの「実存」の在り様が、愚直なオーソドックスを装いながら浮き彫りにされてくる。




今作ではパット・メセニーとの共演による「エレクトリック・カウンター・ポイント」('87年発表)も収録されているが、ここでも「ディファレント・トレイン」と似た方法論での楽曲が展開されている。


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Reich: Different Trains, Electric Counterpoint / Kronos Quartet, Pat MethenyReich: Different Trains, Electric Counterpoint / Kronos Quartet, Pat Metheny
(1994/10/26)
Steve Reich



Talking Heads / Sand in The Vaseline


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Talking Heads /  ”Sand in The Vaseline” / 1992

 





自分が創作したり批評したりする感性に非常に影響を受けたグループだ。


NYパンクとして現れたバンドだったが、NYロックの系統には当てはまらなかったグループだった。


機械仕掛けのようなトリッキーなギターサウンド、アヒルのような動きでフロントを演出しソウルフルが痙攣したようなボーカルのデビッド・バーン。アメリカ中西部のティーンのようなメンバーのステージファッション。人を食ったようなバンド名とシンクロするような歌詞。都市の孤独から導き出される静かな狂気やカオスを表現してもヴェルヴェッツやそのフォロワーであるテレヴィジョンのようにあからさまに暴力的ではない。どこかそういったカッコよさをカッコ悪い立場から傍観するような諧謔精神があった。そういった頭の部分のインテリジェンスと肉体的に痙攣する部分をはじき出すファンキーな音楽性があった。


この作品は90年代に入ってバンド活動中止直後に出した2枚組みベスト盤。


インテリジェンスな鋭角的な知性とボディに来るファンクを昇華させようとした初期、アフリカンリズムを獲得してそれをまた解体していく試行錯誤の80年代前半、初期のシンプルなバンドスタイルに立ち戻り、メロディアスな楽曲でPOPを充実させていった80年代後半、ブラジル音楽への系統を見せ新しいリズムへの模索を始めた歳晩期。


さまざまな変遷と試行錯誤を経たグループの軌跡であったが、そこには知性を知性として突き放す批評的な諧謔性と、その脳の部分を肉体的なリズムで拮抗させる、知性に対して内省的な姿勢を体現できるアートの表現形式が一貫して貫かれていた。このバンドがインテリジェンスであることの証左だろう。


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ベスト・オブ・トーキング・ヘッズベスト・オブ・トーキング・ヘッズ
(2000/04/26)
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