Vich-Review

≫2004年07月

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腹腹時計


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腹腹時計


1999年 日本映画
監督・脚本:渡辺文樹
出演:渡辺文樹


渡辺文樹-Wikipedia




昔ちょうど田中真紀子の親父が総理大臣をしていた昭和の時代に、戦後唯一天皇暗殺を計画したアナキストグループが存在した。それが東アジア反日武装戦線「狼」。「虹作戦」と称し、彼らは葉山の御用邸から帰京する天皇の御用列車を鉄橋上で爆破しようとしたが、爆弾こそ製造したもののあともう少しというところで爆弾のセットに失敗。「狼」は失敗に終わった爆弾を今度は「ダイヤモンド作戦」と名づけて、戦時中軍需産業の分野で日本軍に積極的に協力した企業、三菱重工を狙う。東京丸の内支店に仕掛けられたその爆弾は今度は爆発。300余人の死傷者を出すに到る。


ここまでが実在の戦後史の話だが、映画『腹腹時計』ではその失敗に終わった天皇暗殺テロを「狼」に変わって実行しようとする男が主人公の架空の社会派ドラマをでっち上げようとする。ちなみに「腹腹時計」とは実在した過激派セクトである「狼」が爆弾逃走の方法論や意義、それを実行するゲリラの地下生活の手段について説いたマニュアル本で、実際に自費出版・作者未詳で一部に出回ったものである。(詳細は書評で)。


で、この映画『腹腹時計』。まず自主映画である。ということは16ミリ作品であり、大学生の映研の作品がちょろっと昇格したレベルである。映像のクオリティーは度外視しても、音声が非常に聞き取りにくい。はっきり言ってセリフの聞き取り不可能である。代わりに字幕が流れるのだが、これが英語。海外公開用のプリントのため、と説明されてるが非常に疑わしい。キャストは全て素人。美術全般は非常に貧しい。したがってロケが多いが、無断撮影のオンパレード。アクションシーンが多いが、ちゃちの一言に尽きる。


それでもドラマの設定はそれなりに捻りもありそうなことが、根性で見続けているとそれなりに分ってくる。戦前の朝鮮植民地化の問題に踏み込んでテロルのドラマを膨らませようとしているのは分かる。アナーキーでシリアスな反体制的社会派シネマを標榜していることは伝わってくる。実際、某「作る会」の会長の血圧を上昇させるくらいの過激な非国民的描写が連発する。なにせ腐っても「天皇暗殺」映画であるのだから。


監督の渡辺文樹は80年代から一貫して地方在住でアマチュア畑で自主映画を製作し、通常の配給システムから除外されたところで全国に及ぶ自主上映会を敢行し、そのドキュメンタリー的手法によるセンセーショナルな表現から一定の評価を勝ち得てきた。私ドキュメンタリー的な初期の作品群をのぞけば、ほとんどが原発問題や日本人の封建的体質を告発した反体制的内容が多い。しかもゲリラ的な撮影でノンアポで被写体に迫ったり、実際の殺人事件に触れて「真犯人」をでっち上げて(と言っても作り手は確信しているのだが)名指ししたり、挙句の果てはアクション場面用の爆弾作り(通常の映画撮影用のウソ爆弾ではなくモノホンの)をしたり墓の盗掘までやってのける。表現者としてのスタンスが常に露骨に攻撃的で対象を挑発する。


自主上映会の敢行も特殊である。ポスター張り以外の宣伝活動を一切やらない。いつのまにか上映会場のある町の各所に張り巡られたポスターには必要な情報のクレジットが極端にカットされ、おどろおどろしい絵に「ゲロ袋持参して」「途中退場を覚悟で来て下さい」とグロテスクな何かであることのみを強く誇張する。だから映画の上映会ではなく芝居の上演と誤解して来場する人もいる。監督自らチケットを裁き、上映前に壇上であいさつ(アジ?)をぶつ。そして音声聞き取り不能のストーリーよくわからん作品上映、と到る。内容が刑法に抵触しかねないから上映を拒否されたり、裁判にかけられて永久に上映できなくなた作品もある。とかく裁判ネタには尽きることはない。そして数億円の借金を抱えながらなおショボショボ映画制作を製作し続けようとする。


アクション映画を作るために一昔前のアフガニスタンに渡り、ゲリラ兵士の訓練も受けたという渡辺文樹。知識人という言葉が死語になり、アーティストという人々が押しなべてワイドショーのコメンテーター並の愚弄と化し、保守的傾向を強める世論が再び一億総八紘一宇へリベンジかという昨今、どんなにショボくてクオリティー・ナッシングで自己破滅的に借財を背負いながらも、もはや誰もやらない「反体制」なんてことを日本共産党を数億倍出し抜く過激さでやってくれる化石的なこの人に向かって、わたしは毎夜足を向けては寝られない。


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家庭教師家庭教師
(1988/05/21)
庄田真由美 千葉文子



島国根性島国根性
(1990/09/21)
渡辺文樹

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Deee-lite / World Clique


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Deee-lite  /  ”World Clique” / 1990

 






テイ・トウワが脱退してからいつのまにか精彩を欠いて自然消滅し短命に終わったユニット。


しかしこのファーストが出た頃の勢いというかビルボードで名前が上ってた頃はすごかった。


発売元のワーナーのジャンル分けには「ホログラフィック・テクノ・ソウル」なんてラベリングされていた。革新的にクラヴミュージックを変えたと言ってよい。


テクノやヒップホップをベースに多彩な音楽性を取り込んで実験的な構成に富んだ楽曲もさることながら、クラヴフロアを意識した空間的な音作りが非常に顕著なところが目新しかった。中野裕行の手がけたビデオクリップも面白かった。メンバーの人種の違いに現れているように無国籍なユニット・イメージも音楽性といい感じでシンクロしていた。


ポップミュージックでつかの間ブレイクして、クラヴミュージックに多大なる影響力を残して、このユニットのアグレッシヴな実験性はテイ・トウワのソロへと引き継がれていく。


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World CliqueWorld Clique
(1994/06/17)
Deee-Lite



ゴールキーパーの不安


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ゴールキーパーの不安


“Die Angst des Tormanns beim Elfmeter”
1971年 旧西ドイツ映画
監督:ヴィム・ヴェンダース
撮影:ロビー・ミュラー
出演:アルトゥル・ブラウス  エリカ・プルハー


あらすじなど-ヴィム・ヴェンダースUnofficial Fansite




『パリ・テキサス』『ブエナビスタ・ソシアル・クラヴ』などで著名なドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダースのTV放映用劇映画で長編デビュー作。サッカーとはほとんど関係の薄い映画で公開当時ブーイングを浴びる。


初期のヴェンダース作品の難解さの特徴、つまり登場人物の行動の知覚化にのみドラマツルギーの進行が委ねられている点が色濃く反映されている。よってこのデビュー作も難解かつ不可解な進行に翻弄される。


サッカー選手の主人公が審判と喧嘩して退場する。その夜出かけた映画館のチケット売りの女をナンパして彼女の家で一夜を過ごすが、翌朝なんの脈絡も無くいきなり女を絞殺する。逃亡する意思も無く彼は国境付近の町に旅行に出かけ滞在した村で散歩したり、酒場で喧嘩に巻き込まれたり、昔のガールフレンドに会ったり映画を見に行ったりする。ラストはその村で開催されたサッカーの試合を観戦する、といった感じで全く焦点が絞られていない。


ただ男の犯した殺人事件が新聞に掲載されたり、近所を警官が徘徊していたり、たまたま滞在した村で彼が行方不明の聾唖者の死体を散歩中の池で発見したときなど、そういうシーンが何気なく挿入されたとき不安を掻き立てるような音楽が鈍痛のように流れ戦慄が走る。しかしそれが過ぎ去ればまるで何事も無かったように男の生活のやりとりがごく日常的に進行する。明らかに殺人を犯した出来事と主人公およびその日常性とは一線を隔している。そのボーダーラインがまるで物語を途中でぶった切ったように乖離の程を示すのである。だから観客も殺人に関してあれが何の伏線だったのかという読み込みを断念せざるをえなくなる。


非日常でも不条理でもない。むしろ終始一貫日常を追いかけている。ただ殺人を犯した一点にのみ辻褄が合わず、この一点のおかげで物語の進行に不可解な感触を覚えさせられなにか微妙な不安に苛まれる心地がするのだ。これはなにかしら実存に関する問題定義なのか、あるいは映画的(もしくは作話的)技法の方法論の提示なのか、この辺で読みがまた混乱してくる。実に挑発的な映画なのだ。


ラストのシーンで主人公は観客の一人に、サッカーの試合のペナルティキックの場面でペナルティキックに際してのゴールキーパーの不安の心理を話して聞かす。やがてペナルティキックが蹴られゴールキーパーはボールを正面で受け止めゴールを退け、主人公は薄笑いを浮かべ試合場を後にする。この場面が見ていて一番「殺人を犯したこと」と男の生きている日常のリアリティが限りなくニアミスする思いがする。全く関係の無い場面と会話なのだが、あのあたかも虚構のように遠ざかった殺しの事実が現実のものとして、物語の中へ再び激しく接近するように感じるのだ。恐らくこの場面で男の語る「不安」こそが終始観客のわれわれが感じ続けたものであり、映画の日常性の中で最もリアリティを帯びた男の主体的な言辞だからではないだろうか。ゴールキーパーの不安に反映された言葉は直接にどこかへ対応するものではないが、その唐突に現れた主人公の側から放たれるベクトルの言動=行動が、これまでの意思を反映しなかったようなおぼろな殺人や、明確性を欠いた殺人後の日常に示されているような行動の受動的な空気に対し、唯一ベクトルがついに衝突する場面に立ち会う感触に出会うのである。まるでそれまでの物語の現実が男の感じた知覚のみで覆われた全くの表層のみで構築された無内容な世界であったかのように。


ヴェンダースのこうしたリアリティ、もしくはアイデンティティ不在に関する主題や映画的技法の問題は、『都会のアリス』『まわり道』『アメリカの友人』などのその後の作品の変遷を経て扱われていくことになる。それがひとつの完成された形で結実されたのが82年発表の『ことの次第』だろう。


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ゴールキーパーの不安ゴールキーパーの不安【字幕ワイド版】
(1997/12/22)
アルトゥール・ブラウスヴィム・ヴェンダース



サブウェイ


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サブウェイ


“SUBWAY”
1984年 フランス映画
監督:リュック・べッソン
音楽:エリック・セラ
出演:イザベル・アジャーニ クリストファー・ランバート


あらすじ-goo映画




『グラン・ブルー』や『レオン』ですっかりメジャーな存在になってしまったリュック・べッソンだが、初期の作品はハリウッド色とフランス映画の小粋さがちょうどいい具合にミックスされた傑作が多い。この『サブウェイ』はその典型ともいえる名品。


謎の金髪男がパーティーの招待宅の金庫を爆破して地下鉄構内に逃げ込む。そこで出会ったミュージシャンの男たちとともにバンドの結成を思いつく。そして金庫を爆破されたブルジョア夫人の女と恋に落ちていく。


ストーリーは添え物のようで展開もあくまで役者の魅力を引き出すためだけにあるような感じ。ブルジョア夫人のイザベル・アジャーニがため息が出るほど美しい。金髪爆弾男クリストファー・ランバートがシャープな色男ぶり全開。他にもローラースケートでかっぱらいを演じるジャン・ユーグ・アングラード、寡黙なドラマーのジャン・レノなどおなじみのべッソン映画脇役の布陣が見事。


地下道を蛍光灯を持って歩くランバート、夜中の花火のシーン、クライマックスのバンドの演奏など、印象的なシーンの演出やアングルがフランス映画っぽい凝り具合。全体的にどういうジャンルの映画か規定するのが難しい。SFのようであり、ファンタジーの膨らみがあり、サスペンスの要素があり、最後はしっかりアジャーニとランバートのラヴロマンスで締めくくる。80年代のヌーベル・ヌーベル・バーグの旗手としてべッソンとともに名を連ねるジャン・ジャック・ベネックスの『ディーバ』と同じように、さまざまな要素を内包しているミクスチャーな映像美作品という感じだ。


この映画を見てミーハーなわたしは金髪にし、ベーシストに憧れた。エリック・セラの演じるベーシスト役と演奏、いかにも80年代的でカッコよかったです。


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サブウェイサブウェイ
(1999/06/23)
イザベル・アジャーニ



燃えよドラゴン


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燃えよドラゴン


“龍争虎闘”“ENTER THE DRAGON”
1973年 アメリカ・香港合同製作
監督:ロバート・クローズ
音楽:ラロ・シフリン
出演:ブルース・リー ジョン・サクソン


あらすじ-goo映画



ガリガリの虚弱体質で体育教師に忌み嫌われていたわたしは格闘技や肉体美という世界に羨望の眼差しさえ送っても所詮は自分と関係のない宇宙人の会話のような世界と思っている。しかしそんなわたしの唯美的な琴線を微妙にくすぐるなんとも言えない美的オーラを放つ格闘技映画がブルース・リー作品である。なかでも『燃えよドラゴン』は実に10回以上見た。


ストーリーはいたって簡単。香港英国政府の情報機関の依頼を受けた少林寺の武道家が、かつての同門で少林寺の教えに背き麻薬の密売や人身売買をしているシンジケートのボスの潜む孤島の要塞へ、そこで行われる武道大会の選手として侵入し、見事その要塞で行われる悪事をつきとめ、敵のボスを倒して終わるという要約具合。007のボンドシリーズそっくりである。ついでにボンドガールみたいな東洋美人も出てくるし。ブルース・リーが主演していなければ間違いなく凡作で終わる映画だろう。


このイージーなアンチ・インテリジェンスなアクション映画にもコンセプチュアルな主題らしきものはそれなりにこしらえてある。あのブルース・ファンにお馴染みの冒頭のブルースと弟子の問答のシーン(ブルース・リー自身の演出部分)だ。そこにおいてブルースは弟子に武道について「考えるな、感じるんだ」と言い放ち、老子の世界に通ずるたおやかな無我の境地を諭す。しかし全体は妹を殺されたブルースの復習劇である。この辺のアンビバレンスがコンセプチュアルな核になるのだが、はっきり言って、熱心なファンでなければどうでもいい事柄ではある。


ブルース・リー映画の魅力はブルース・リーの華麗な舞踏のような拳法パフォームと残酷表現、シリアスなタッチに尽きる。あの「アチョ~~!!」と叫ぶ怪鳥音(と言うらしい)、鮮やかな肉体の軌道、指の先まで統括された体位の美しさはハリウッドの亜流の俳優たちがプラグマティックに模倣できる型ではない、とっても精神的なもの。それにやけにグロい演出とかシリアスなスピリットへのこだわりはブルース作品に限り顕著に映る。後年のジャッキー・チェンはこの部分においてブルースを超えられない限界を悟ったので、対極的なコメディづくしの作風を走り続けたのではないかと勘繰りたくもなる。よく「肉体の哲学」などという安っぽいコピーで総括されやすいブルース・リーだが、哲学ではなく、そこはかとなく散りばめられた美意識の産物が映画として結実しているのである。


ブルース・リーはこの映画のシナリオには気にいらなかったが、監督ロバート・クローズの映像センスには注目していたらしい。要塞島で行われる宴会に象徴される逆オリエンタリズム、クライマックスの「鏡の間」での死闘のいかにも時代的なサイケ感覚は何かのネタに借用したくなるほど出来栄えが素晴らしい。そして映画の編集後のフィルムを見たハリウッドの首脳陣が大ヒットの予感を確信してさらに莫大な投資をつぎ込んで完成されたというサウンドトラック。あのテーマ曲を聴くと、みずぼらしいジャンクが浮かぶ香港の港、近代的高層ビルの狭間に建ち並ぶスラム、といった植民地主義的オリエンタリズムのニヒルな空気が漂ってくる。


やはりあまりにも死に様が唐突過ぎたと言わざるをえないブルースの最後。あの映画の後の変遷を想像して余りある空白を置き残して、逝ってしまった。


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燃えよドラゴン ディレクターズ・カット スペシャル・エディション燃えよドラゴン ディレクターズ・カット スペシャル・エディション
(2007/08/10)
ブルース・リー



花様年華


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花様年華


In The Mood For Love
2000年 フランス・香港合同製作
監督:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル
美術:ウィリアム・チャン
出演:トニー・レオン マギー・チャン


あらすじ-goo映画



1962年の香港。偶然アパートの隣室同士に引っ越してきたことが縁で仲良くなった二組の夫婦。しかしある日お互いの妻と夫が不倫しあっていることに互いの伴侶が気づきあう。不倫の当事者同士の行方を見失い残された二人は事態をどのように向き合ったらいいのか分からないまま、アパートでの壊れた家庭生活を埋め合うように頻繁に出会うようになる。いつしか意図することも無いうちに男女は濃密な時間を共有しあっていることにふと気づいてゆく。


不倫でパートナーを失った人妻と夫なる男女の、肉体関係の無い、不倫の2文字を忌避した恋の話。監督は『恋する惑星』『ブエノスアイレス』などのウォン・カーウァイ。


わたしはこの映画を精神科病棟に入院していた頃、自宅に外泊した時にビデオで見た。その頃病棟生活で同じ入院患者で夫と子供がいる年上の女性と、大変仲良くなっていてそのことで悩んでいたわたしは、この静かなテンポの映画を見て、とても気持ちを慰められた思い出がある。


激しい静けさがゆえに切なさを掻き立てて止まないドラマだ。カーウァイ映画はもともと都市のノイズや役者のモノローグが多用されても不思議に静寂を漂わせた作風があった。しかしこの作品ではモノローグが完全に排除された。『恋する惑星』に見られるようなハンディングカメラ風のぶれの映像も画角の斜体も退行して、原色が目に焼きつくレトロ調の落ち着いた色彩で、パンもスローでカット数が以前より少ない、長回しも多く遠近法が生かされた画面構成。ミディアムテンポで音数の少ないタンゴ形式のオリジナルスコアをそこにかぶせると非常に緻密で静かな映像の「饒舌さ」が物語を進める。動的な表現から静的な描写への転向がうかがえる。


スーツ姿に髪をバックに梳かしてまとめたトニー・レオンの、『恋する惑星』の警官役の落ち着きと憂いを奥に沈めたような抑制の効いた演技。円熟した美しさを帯びた妙齢を迎えながらも開放されないまま、自らを縛りつけているような役柄のマギー・チャン。その耽美的な肢体のラインをくっきりと捉えて言葉以上に多くの彼女を密やかに語り出そうとするカメラの視点。本当に切ない。こんなに感覚的描写が鮮やかな映画も久しぶりだが、最小の表現で情感に訴えかけるミニマムな映像表現も新鮮だった。


ちなみに『花様年華』撮影前のカーウァイは病に臥していたらしい。だからというのでもあるまいが病人進行中のわたしには非常に穏やかに入り込んでくるドラマだった。


不倫という気持ちではない。ただ漂泊する不安な時間を支えあい、ただそれだけのことでさえも秘密として封じている。お互いに惹かれあう気持ちに気づいて自分に認めさせながらも肉体的な交わりの一点を頑なに拒絶する。離れ離れになった後も絶えずお互いの存在の大きさに触れながら懐かしむのだ。生きている時間の中で多くの時間を共有することが重要ではなく、重要な時間の中で偶然めぐり逢わせて共に時間を過ごした他者こそがその後の長い人生の中で何度も回顧する対象であったりもする。


ラストシーンのカンボジアのアンコールワットでのトニー・レオンの演技には、ただただはらはらと涙が流れた。わたしはあまりにあのシーンで受けた感動が鮮烈であったために、もう一度再びあの映画を見る思いになかなかなれない。たかが映画の感動も繰り返せば色褪せるものだ。そういうことをきちんと学習できた齢に出会うべくして出会ったという映画。


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花様年華花様年華
(2004/11/25)
トニー・レオン



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自分はパンクでした。

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