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≫2008年07月16日

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ザ・デイ・アフター


The Day After1


The Day After2




The Day After
1983年 アメリカ映画
監督:ニコラス・メイヤー
脚本:エドワード・ヒューム
撮影:ゲイン・レシャー
出演:ジェイソン・ロバーズ,ジョン・リスゴー
ジョベス・ウィリアムス,スティーブ・グッテンバーグ

あらすじ-goo映画




もとはTV映画で、公開時に全米で視聴率は46%(シェアは62%)だったという作品。日本でも劇場公開され、TV放送されたときに視聴率30%という高視聴率だったという。

製作された時期はアメリカはレーガン政権、冷戦下の軍備拡張競争がピークに達し、米ソ対立が深刻化された時代。今から考えれば、冷戦時代の最後にして最も相互確証破壊(MAD)による核戦争が実際にその通りに起こり得る規模の軍事危機に直面した頃ではなかったか。

僕は小学校の低学年の頃だったが、この映画のポスターが貼られた街角のバス停で毎日立っていたことをよく覚えている。実際にTV放映されたとき(日曜洋画劇場だったと思うが)も、吹き替えでこの映画を両親と観たことも覚えている。

世界に原爆とか水爆という核兵器というものが存在して、アメリカとかソ連という仲の悪い国同士が睨み合っていて、原爆を載せたソ連のミサイルが日本にも向けられている・・・・・・そういう、いわゆる「核戦争」の危機や冷戦構造について初めて僕が子供心に理解したのは10歳になる以前。年の近い姉が学校の社会科の時間に先生に教えられたというその話を初めて聞いたときは、思わず泣き出した。姉は途端に困惑して、「さっきのはウソ。もうアメリカもソ連も仲直りして原爆、どっちも持ってないんやで」と、真っ赤なウソで弟を慰めようとした。

小学校の低学年の頃はヒロシマの被爆の話だとか戦争の話を随分両親に聞かされたし、そういう映画もよく観に連れて行かされた。
被爆者の惨い被爆映像を映画館で見せながら母が子供の僕にこう言った。「ウルトラマンがいてもどうにもならんことがあるんやで」。

『ザ・デイ・アフター』のポスターが貼られたバス停の後ろの壁を眺めながら、「明日、もし、核戦争が起こったら、自分は今日これから、生きていて最後のバスに乗るんやな」と真剣に空想したこともあった。

だから、この映画は僕にとって、僕が生きた冷戦時代の原風景のようなもので、結局(今のところ)起こらなかった第三次世界大戦のトラウマとしての心象だった。

戦後生まれの日本人である僕がこの映画から受けた核戦争の衝撃は、たぶん、80年代初めにこの作品をTVで見た全米一億人のそれぞれの衝撃とほとんど同じようなものだったのではなかったかと思う。

明確に反戦・反核映画でありながら、この映画からイデオロギー的要素がまったくと言っていいほど僕には感じられない。
同じような志向性を扱った作品は日本でもたくさん作られた。でも日本で作られた(特に冷戦時代)反戦映画やTVドキュメンタリーといった代物と『ザ・デイ・アフター』の間にはなにか決定的に違うものを感じる。

それをどのように言い表せば適切なのか、よく分からない。

ただ、こういう言い方が適切であるか否かは分からないが、日本の多くの作品が「戦後民主主義」という「約束事」を土台にして、予定調和的に核への抗議をテーマに引き出してくる傾向が多かったことが決定的な相違の要因の一つではないだろうか。

つまり、逆に言えば、アメリカ映画の側には日本の「戦後民主主義」のような「約束事」がなかった。約束事の代わりに、『ザ・デイ・アフター』にはモチーフとして冷戦を如実に体感する恐怖の「背景」だけがあった。

冷戦が熱戦に変わったとき、ICBMの弾道が頭上に降り注ぐとき、その日、そしてその日の後・・・・・・それを出来うる限り思考してみようとする「必然」だけがあった。
その想像力の結果として、彼らはあの架空のカンザスシティーの「翌日」を描かざるを得なかった、そういうシンプルな「必然」への経過が、当然の結果としてあの映画から傾向的要素や物語の予定調和と軌道を違えたに過ぎなかっただけではないだろうか。


『ザ・デイ・アフター』に対する批判、特に被爆国である日本からの批判は、あの映画が公開された当時からネットで視聴されるようになった現在に到るまで、一貫として存在するのは「核兵器の惨状はあの程度のものではない」という主張が最も多数を集約する反論だろう(この批判に対してはこの映画がもともとTV放映されたドラマであったという事情が考慮されるべきではあると思うが)。

確かに1945年の広島や長崎に起こったことを他の国の人間よりも私たちは知識として多くを教えられている。『はだしのゲン』の1ページに描かれた酸鼻と比べれば、あまりにも「体験したこと」と「想像したこと」の間には大きな断絶がある。

だが、『ザ・デイ・アフター』がアップされたときにニコニコ動画で誰かがコメントしたことでもあるが、なにも核戦争のリアルのディティールを描くことだけが「体験した」側の特別な表現であったとしても、それが全ての本質ではない。
核の惨劇を「想像する」側がマクロに俯瞰する「その翌日」からの全体を覆う世界の悲惨さへの記述をも、本質の一つではないか。
なによりも、いつかやってくるかもしれない「その翌日」は、我々全体の将来であるのだから。

私たちは追体験できない事柄として1945年のヒロシマ・ナガサキを共有している。

同じように今までになかったものとしての“The Day After”を体験するかもしれない世代の人間として、起こり得る将来の一つを担うかも知れぬ運命を共有しあっている。

そういう意味での「平等」な地平線上でカタストロフを考えるとき、私たちは『ザ・デイ・アフター』が描かれたあの地点は非常にシンプルな「必然」の一つとも言えるのではあるまいか。


余談ではあるが、『ザ・デイ・アフター』を検索していたらGoogleではほとんど『デイ・アフター・トゥモロー』の関連サイトが数多く出てきた。

25年前からは考えられなかったことだが、冷戦はあっけなく終結して、ドイツが統一され、ソ連は解体された。
冷戦の後はグローバリズムが現れて原理主義が覇権大国と睨み合う危機の時代へ入れ替わった。
そして、今では「その日の翌日」である「明日」を確実なカタストロフとして環境破壊の未来が語られるようになっている。

だが、この映画の結末をいま一度思い出してもらいたい。

爆心地近くのカンザスシティーで跡形もなくなった自宅跡に辿り着いた主人公の老医者は、妻の形見である腕時計を見つける。廃墟となったその場所に見知らぬ被爆者の家族が佇んでいるのを見て、老医は激しく叫ぶ、「俺の家だ、出て行け!」。被爆者家族のうちの一人の老人が主人公にオレンジを差し出すが、それを受け取らず、元の家主は焼け跡の地面にうずくまる。やがてオレンジを差し出した老人が主人公の医者に歩み寄り、二人は静かに抱擁する。

このラストシーンの光景の重みはなにひとつ意味を失うことなく、憎しみ合い、時に破壊を希望と錯誤する私たちの行き先に、指し示し続ける。



25年前の冷戦の戦慄の中で、私たちはもしも「その日」を終えたとき、もう少しなにごとかの叡智に理解を進めることができるかもしれない、ということを知った。



だが「その日」の後にはもはや「明日」は来ない。

「明日」という楽観を想定し得ないというリアルな背景は、今なお、変わってはいない。



The Day After3




The Day After4








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(2004/08/27)
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