Vich-Review

読書と音楽と映画の寸評

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

リトル・ブッダ


c0045278_1439.jpg





LITTLE BUDDHA
1993年 イギリス=フランス合同製作
監督・原案:ベルナルド・ベルトルッチ
製作:ジェレミー・トーマス
脚本:マーク・ペプロー
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:坂本龍一
出演:アレックス・ヴィーゼンダンガーキアヌー・リーブス ブリジット・フォンダ クリス・アイザック イン・ルオチェン


あらすじ-goo映画



イタリアの巨匠ベルナルド・ベルトルッチによる『ラスト・エンペラー』『シェルタリング・スカイ』に続く“オリエンタル三部作”の最終章となる作品。


ベルトルッチといえば『ラストタンゴ・イン・パリ』や『暗殺のオペラ』なんかのヨーロピアンニヒリズムに溢れた作風の映画がわたしは好きだ。『シェルタリング・スカイ』で見せたどこまでも救われぬことが救いであるような実感をもたらしてくれる耽美的な作品が好きだ。本作はちょっと従来のベルトルッチ作品とは趣が違う。


ブータンに住むチベット僧侶が師の遺言に従って、師の生まれ変わりとなった子供を捜しにアメリカへ向かう。やがてシアトルに住む建築家の子供がその生まれ変わりであることを悟り、子供とその家族に歩み寄っていく。チベット僧や仏陀の一生に興味を示した子供と対照的に建築家の父親は激しく困惑する。しかし友人の不慮の死に心を傷めた建築家は息子がチベットそうの生まれ変わりであるかどうか確かめるために、ネパール、ブータンへ息子と共にその旅路に立つ。


早い話がチベット仏教の活仏思想(輪廻転生についての説)に基づいたストーリーである。同時にキアヌー・リーブス演じるシッダールタがブッダへと悟りを経てゆく過程を描く。冒頭のブータンの寺院でのシーンからして従来のベルトルッチ作品の雰囲気とは全く異なる。一言で言えばたおやかである。ニヒリズムの焦燥は消えて仏教的な全てを包括するたおやかさに満ちている。しかしアメリカのシーンに向かうとそれが次第に変わって行く。我々のよく知る生き残りのいないパワーゲームとひたすら劇場型世界に従順に心身を酷使する人々の悲喜劇の世界。簡単に言えばそういった救いのないありふれた現代の象徴的世界が救いとしてのモチーフであるチベット仏教の異世界と出会うことが主題。オリエンタル三部作に共通する「異なるものとの出会い」として、前作『シェルタリング・スカイ』でベルトルッチは異文明でのアイデンティティ喪失による絶望的結末を提示したあと、本作で異文化との遭遇による「救い」を試みたわけである。


私事だがわたしがこの映画を見たとき、わたしは精神病院の三ヶ月の入院を経た後だった。わたしが心を病むに到った原因は友人の死によるものだった。それはわたしにとって長い年月どうしても超えられない事実だったのだ。だから劇中でシアトルの建築家が友人の訃報に際して乗車中の車を橋の上で止め、車外に出て思わずぼろぼろと泣き伏すシーンは、ありふれた情景でありながらわたしもとても共感せざるを得なかった。どれだけ理知的に世界を克服しようとしても生あるものとして当たり前に超越することの出来ない人の定めが、ありふれたものでありながら人の個体を揺るがし続ける。ありふれたものがあれだけ人が生きていくうえで切実なものだと映画で感じたのは深い意味ではあの映画が初めてかもしれない。


わたしは退院後、ブータンに旅行した。『リトル・ブッダ』の冒頭とクライマックスで現れたパロ・ゾンにも足を運んだ。ベルトルッチがカメラを向けた同じ眼差しに立つことが出来た。ブータンは仏教的摂理がたおやかに浸透し21世紀の今もそこはかとなく息づく温かく優しい国である。人々は明るくみな親切だ。輪廻転生を信じ、永久の魂を信じ、一度限りかもしれない出会いを慈しむからこそ互いに親しみ、大切にしあう。そんな人々を包括するブータンの自然はサハラの鋭利な稜線とは対照的にどこまでもなだらかで穏やかである。わたしはその国を見聞きしながら、わたしのなかの心を病むような神経とは対極のたおやかさを感じた。神経をギリギリまですり減らしてゆきながら確たる哲学もなく寸借の前方の運命を日々空しく穴埋めするような世界の日常とは、あまりにもかけ離れすぎた静寂があるのだ。『リトル・ブッダ』でシアトルの家族をチベット仏教の世界へ導いてきた僧侶はブータンへの帰路についた後、静かに人生の終りを瞑想を続けながら迎えようとする。全てを受容し悟りを信じながら生を終えてゆく僧侶を見送りながら、建築家は「わたしには信じることが出来ない」と仏教的なたおやかさの中へ溶け込むことの出来ない違和感と向き合い続ける。


だからこそラストシーンはハッピーエンド的な明るさで静かに終えてゆきながらも、どこか哀しげな余韻が滲み出る。アメリカへ帰国した建築家親子はNYでボートに乗って湾内に出る。そこで逝去したチベット僧の遺骨の粉を海に少しずつ撒いて行く。亡骸を自然の中へ還すために。そうしてエンドロールが流れ始め、坂本龍一のエンドスコアが静かに響き渡る。海から映し出したNYの高層ビルが索漠たる救いなき不毛に映るようにそのスコアは悲壮で儚げである。揺れるボートの振幅が、ついにどこまで行きながらも救いと同一化できない我々の定めを示しているようにエンドスコアの調べがいざなってゆく。坂本龍一のそのスコアの名が“Acceptance”(受容)である。


ある種の人々にとっては「救い」を提示されることは己の「救われなさ」と向き合う合わせ鏡なのかもしれない。坂本龍一のスコアがそれを示すかのように、フレーズが反復することなく、異なる調べを糸のように手繰り寄せながら物語的に音を紡いでいく。この頼るすべのなく反復を拒否した音の紡ぎを、「救い」に同一化できない人々の魂の漂泊であるかのように思いを馳せながら、わたしはようやくなつかしい人の生き死にに向き合い「受容」へと辿り着く。

uscule---Little-Buddha.jpg





リトル・ブッダリトル・ブッダ
(1998/10/25)
キアヌ・リーブス



スポンサーサイト

回復的文章

回復


管理者對此表示許可

Trackback

http://vichreview.blog116.fc2.com/tb.php/15-df6c9831

 | HOME | 

ClockLink


無料ブログパーツ

プロフィール

hemakovich

Author:hemakovich
慢性鬱状態で活字を追うのは苦痛です。
電気ショック療法を受けたみたいに、
直前に読んだページの内容を忘れます。

思春期の衝動が、ハードロックに向かうか、
パンクに向かうかで、
人間の感性って分かれ道になるみたいですね。
自分はパンクでした。

たけしの映画より、
村川透のブルーがきれいです!
村西とおるのサイト、いいです!


My Profile by iddy


カテゴリ

index (1)
Book (13)
comic (1)
essey (1)
novel (8)
nonfiction (2)
その他 (1)
Music (15)
邦楽 (6)
洋楽 (8)
コンピレーション・サウンドトラック (1)
Cinema (21)
邦画 (7)
洋画 (13)
その他・PV (1)

PIXIE


最新記事


FLOQ



最新コメント


最新トラックバック


finetune



月別アーカイブ


ALPLAYER



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。