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『さようなら、ギャングたち』 / 高橋源一郎


 

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さようなら、ギャングたち
高橋源一郎
講談社 1981





日本の現代文学で最初のポストモダン文学、もしくはメタ小説といえる作品である。


この作品が現れるまで、いや現れて以後も破格なナンセンス小説と揶揄されそうな形態がこの作品には濃縮して表れているが、しかし後の「惑星P-38の秘密」のようなカタログ小説と比べると遥かに物語の構造を残している。むしろ作家・高橋源一郎の原初的なエネルギーと個人的な感傷がひたむきに描かれたオーソドックスな純文学であったとさえいえると思う。


主人公が「中島みゆきソングブック(S.B)」と出会うまで、出会ってからの「詩の学校」での授業、そして突如現れた「ギャング」たち、ギャングたちと元ギャングであったS.B、主人公の崩壊までが描かれる、シュールなストーリー展開。しかしその内容は多種多様な文献の引用や漫画のコマの借用、パロディであり、批評であったりする。


作品自体が小説の形を借りながら現代詩に対する批評であったりもする。脱小説的な試みをギリギリまで試しながら小説としての構造をかろうじて残している。主体性や象徴的表現を柱として発達してきた近代文学への批評性としての作品を小説の形で行っている。まさにメタ小説なわけである。


作品に描かれた崩壊後のような廃墟を思わせる世界。ここに作者が体験した学生運動の終焉や、連合赤軍のあさま山荘事件に象徴されるノンセクトラジカルの幻の消滅、といったコンテクストを読み取ることは可能だ。実際作者自ら「60年代三部作」と題して、この後「虹の彼方に」「ジョン・レノン対火星人」といった作品を続けてもいる。


しかしこの「さようなら、ギャングたち」を絶えず覆い尽くす空気は、そういった脈絡にとどめ置くことの出来ない、詩的リリシズムである。優れた散文の放つ圧倒された世界の表現である。


この作品を読み解くことと感じ取ること。二つの可能な選択肢の中で読者としてのスタンスさえもが作品性そのものから問い質されざるを得ない。この作品の今もって通用する先鋭性はその脱構築的なラジカリズムが小説の構造にとどまらず、作品と読者との関係性をもこれまでの通念から更新しようとしているのである。




さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)
(1997/04)
高橋 源一郎



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