Vich-Review

読書と音楽と映画の寸評

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フィッシュマンズ / 空中キャンプ


post-436527-1149.jpg


Fishmans /   ”Kuchu Camp” / 1996






フィッシュマンズのメジャー移籍第一弾にして提出された記念碑的名作。
いまでもこのアルバムをしてフィッシュマンズのベストに挙げる人も多いと思う。

当時の音楽シーンがどんな状況だったか分からないが、個人的にはいわゆる「渋谷系」ブランド、それに似た類の音がどこからも四方を塞いでいたような頃だった気がする。
そんなときにFM802で奇跡的な偶然のように出会ったこのアルバムのシングル「Baby Blue」がやたら気だるくて一際へヴィーなマイナスベクトルを放射して、ラジオから浮遊するように聞こえてきた。
「渋谷系」と機軸を共にするようなどこか懐古趣味的な音のイメージがしたけれど、モノホンの「渋谷系」が明るい60年代なら、こちらは薄暗い70年代という感じで。

「なんだか死にたくなるような曲だな」と思ったことはよく覚えている。
僕と同じように『空中キャンプ』から死の匂い、というか、死にまつわる倦怠を感じた人は他にもたくさんいたんじゃないかな。

1999年にボーカルの佐藤伸治が急逝した直後、僕はまったく関係ないことだが極度のうつ状態になって精神科に入院した。
入院するほんの数日前、CDショップで「MAGIC LOVE」のPVをボンヤリ眺めていたこともよく覚えている。

僕にとってはフィッシュマンズはいつも気だるいマイナスのベクトルに向かって聞こえてきた音楽だった。
でもそれがまた随分と心地のいい倦怠感だったわけだ。

最近になってからフィッシュマンズのポリドール移籍前の作品を掘り起こして聞いてみたけれど、『空中キャンプ』とはまるで断絶したかのような作風であったことには驚かされた。

彼らはレゲエやダブを日本の都市の日常に置き換えたロックステディを忠実に追い求めていたバンドとして、デビュー以来長く続けてきた。

それはあくまで日本のルードボーイの姿を描こうとしていたような、ロックステディの国産品を作ろうとするような、ある種の気概、もしくは気負いが反映されていた音楽であったように思う。

そういう今までの気概がこの『空中キャンプ』ではまったく突如に四散して、レゲエだとかダブといった音楽的背景が後退して見えなくなった。ロックステディのようなテーマ性も必要としなくなって、もっと切実で重いなにかしらの詩的描写を潜ませた世界観に変わった。

瑞々しい水彩画が、キャンバスに重くのしかかる油絵に変わった、というような喩えがいいだろうか。

『空中キャンプ』で、フィッシュマンズは青春期のルードボーイを描写するような躍動的なバンドから、もっと普遍的で何処にも誰にも起こり得る表象をなぞるような表現世界を確立させたのではないかと思う。


どこかのフィッシュマンズのファンサイトで書かれていたことだが、「Baby Blue」に出てくる「きみ」というのは、本当は現実にいる誰かの「きみ」ではなく、自分の内側にしかいない「きみ」のことなんじゃないか、というようなことが書かれていて深く共感したことがあった。

このアルバムで描かれているものは本来レゲエとかロックステディの中で描かれるような直接的な現実の記載ではない。
それよりももっと深く、沈降した、虚実の分からない、行方不明のいつかの未明のクルージングというような感じだという気がする。

自分たちが出発した音楽的背景を抜け出して、とてつもなくカテゴライズを拒んだ表現世界を持ち得たとき、甘美で、倦怠で、ほのかに死を誘引させるようなところで彼らの音楽は漂流していた。


佐藤伸治の急逝はまるで作り事のように彼らの音楽の終わり方にふさわしすぎた。


フィッシュマンズが続いていれば、どんな感じの音楽だったのだろうといつも思う。




fishmans01.jpg







空中キャンプ空中キャンプ
(1996/02/01)
フィッシュマンズ

商品詳細を見る




Yellow Magic Orchestra / Public Pressure


41HXG0e72.jpg


Yellow Magic Orchestra /   ”Public pressure” / 1980

 





YMOと言えば、テクノ。

だけど、1980年代後半に思春期を迎えた僕には「テクノ」といえば、「ピコピコ」音しか浮かばなかったし、そもそもその頃僕の周囲に流布していたYMOについてのイメージと言えば、「君に胸キュン」だとか「以心電信」しかなかった。

僕は邦楽よりも洋楽の方に先に開眼していて、初期パンクだとか第二次ブリティッシュ・インベンションをよく聞いていた。

そんな僕だったから、YMOに開眼させられたきっかけは、「テクノポリス」や「ライディーン」のようなマスにウケたアルバムでもなく、『BGM』や『テクノデリック』のようなYMO信者に崇め立てられ続けているコアな名作でもなく、この『パブリック・プレッシャー』だった。

YMO初の世界ツアーであるトランスアトランティック・ツアー、そのNYのハラーでのLIVEビデオを見たとき、僕が感じたYMOは「テクノ」ではなく、「パンク・ニューウェイブ」の感覚だった。
「コズミック・サーフィン」の演奏は紛れもなくニューウェイブっぽいテイストがしたし、メンバーの人民服にマジシャンの覆面という装束も80年代洋楽のオリエンタル志向に沿った感覚に忠実であったように思う。

僕にとってYMOは「テクノ」ではなくて「パンク・ニューウェイブ」という捉え方が初めにあった。
だからこの『パブリック・プレッシャー』の次にハマったのは『増殖』だったし、『BGM』とか『テクノデリック』を聞けるようになるには時間がかかった。
広義で捉えれば『BGM』なんかは典型的なニューウェイブ音楽であるかもしれない。
だけど洋楽のニューウェイブ音楽の中ではああいう重層的な音を出すのはほとんどなかったし、『テクノデリック』みたいなインダストリアルなパーカッションをサンプリングしたり演奏するミュージシャンは主流じゃなかった。
「テクノ」というのはまだ存在してなくて、「テクノ・ポップ」という定義はあっても、そのほとんどは「エレクトロ・ポップ」だったのかもしれない。

この『パブリック・プレッシャー』も「エレクトロ・ポップ」の亜種のようなアルバムであって、だからこそ僕の耳にも自然に入り込めたのかもしれない、という気がする。

この『パブリック・プレッシャー』は周知の通り、正確には実況録音的な意味でのライヴアルバムではない。
サポート・メンバーのギタリスト、渡辺香津美の演奏がレコード会社の契約上の問題でそっくりカットされてしまって、そのかわりにシンセのオーヴァーダビングが施されているという代物であり、言うならば「バッタもの」のライヴアルバムなのだ。

ハラー公演の「コズミック・サーフィン」のような渡辺の素晴らしいギターワークはここでは聞けない。
「ジ・エンド・オヴ・エイジア」はオーヴァーダビングの箇所を繰り返し聞いているとなんだか飽きてくる感じもする。
でも、例えば「レディオ・ジャンク」のような曲はギターチャンネルを封じたおかげで逆にしなやかなポップ・ソングに仕上がったかもしれない。シーナ&ロケッツのスタジオ録音のようなコテコテのロック色が抑制されて、高橋幸宏の持ち味であるポップテイストが生かされているように思う。

トランスアトランティック・ツアーの演奏は、渡辺香津美の演奏パートをそのまま流した『フェイカー・ホリック』という完全版というべきアルバムが後から出ている。
この『パブリック・プレッシャー』と聞き比べてみるのも面白いかもしれない。

この『パブリック・プレッシャー』のチープでパンク的な初期衝動がほとばしる演奏を聴かなかったら、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のスタジオ録音のバージョンの良さもなかなか理解できなかったかもしれない。

そういう初期衝動がYMOのバイオグラフィーの中で存在するのはこの時点だけである。そういう意味ではYMOとしては珍しく、且つ重要なシーンがここには残されているかもしれない。


330695547_c1b72.jpg






パブリック・プレッシャーパブリック・プレッシャー
(2003/01/22)
YMO

商品詳細を見る



FAKER HOLIC YMO WORLD TOUR LIVEFAKER HOLIC YMO WORLD TOUR LIVE
(1994/08/31)
イエロー・マジック・オーケストラ

商品詳細を見る



小島麻由美 / My Name is Blue


2180663.jpg


Mayumi Kojima /   ”My Name is Blue” / 2001






このアルバムで初めて小島麻由美を聴いたとき、1曲目の「甘い恋」をPVで見ながらHMVで視聴したのだが、少々ありがちな型にはまったレトロ趣味志向だなあと思った。
だが、しばらくしてから彼女の1st『セシルのブルース』を聴いたとき、なんか好きなようにやってるなあという感じで好感を持った。『My name is blue』を聴いたときのような、型にはまりすぎな方向じゃなくて、少ない音数で気軽にやりたいことをやってる雰囲気が、気取りがなくて好きだった。
最初に僕にHMVで『My name is blue』の視聴に誘った年下の女の子が「彼女は音楽を表現してるんじゃなくて、ただ好きなだけで音楽やってる人なんですよ」と形容した意味がよく分かった。
その翌年だったか、シングルの『恋はサイケデリック』をリアルタイムでFMで聴いたとき、「なんかこれはすごく売れるんじゃないか」と意外な器用さを感じて驚いた。

その後しばらく小島麻由美を聞くことはなかったんだけど、その間に椎名林檎が東京事変とかをやってるのを見て「そう言えば、小島麻由美は椎名林檎のパクリだったのかもな」なんてことを思いながら過ごしていたわけだが、ある偶然のきっかけで小島の『二十歳の恋』と『さようなら、セシル』をいっぺんに聴く機会があって、これがかなり自分的に衝撃が沸騰して「マイ・小島麻由美再考ブーム」がやってきた。

1st『セシルのブルース』と4作目『My name is blue』との間にこんなにも音楽的冒険を渡り歩いていたことが、「ただ好きなだけで音楽やってる人」にしては随分と面白いことを実験してきたんだなと、なんとなくものすごく小島さんに申し訳ないような気持ちになった。
それともう一つびっくりしたのが、先に挙げた音楽のレトロ趣味志向、たとえば「大正ロマン」だとか「昭和歌謡」というかそういう類の音楽性を、実は小島麻由美は椎名林檎たちとかよりももっと早い時期から先駆的にやっていて、ある意味パイオニア的存在だということを知って、またまた小島さんに激しく申し訳ないような気持ちになった。つまり、小島麻由美が椎名林檎をパクる、ということは常識的にありえないことな訳だ。

だが、僕が小島さんに対して最も申し訳なかったことは、実を言うと、HMVで「甘い恋」を視聴して『My name is blue』を買ってはみたものの、それ以後約5年間に渡って、僕は『My name is blue』を、最後の曲まで一度も聴いたことがなかったということだった。

僕は5年を経て初めて『My name is blue』を最後の「わいわいわい」まで聴いた。
「ひまわり」と「あの娘はあぶないよ」のところで、不覚にも、泣いた。


小島麻由美の音楽性のエッセンスは先述したとおり、いわゆるレトロ趣味志向に彩られている部分が多々ある。
だが彼女の公式サイトで、「高校時代、ふと耳にしたローズマリー・クルーニーの音楽で突然アメリカン50'sの虜に」なったと述べてあるとおり、レトロ志向といっても、それこそ「ありがちな」大正ロマン云々みたいな「レトロの主流」みたいなところからは距離を慎重に置いているスタンスを感じる。
レトロ志向のミュージシャンの人たちは、言ってみれば80年代初頭に戸川純だとか上野耕路の二番煎じにみたいなもんだとまとめちゃうのは暴論だが、そういう先達との差別化に腐心する亜流の定めと格闘してるような感じが個人的にはある。

そういう亜流の腐心と比べてみれば、小島麻由美は非常に肩の力を抜いて天然にやってるように見えるんだが、たぶん彼女の場合、音楽的感性のネタ創出の次元が、一般的にJ-POPやってますという人たちのそれと比べてある意味広い、とも言える。ローズマリー・クルーニーが好きという邦楽アーティストはメジャーで聞いたこともないが、50'sオールディーズと言ってもなんかイタリア寄りで主流じゃないし、そもそも愛読書が村上春樹で、好きな映画はゴダールというのは有り得ても、そういう彼女のデビューシングルがビバップというのが一筋縄ではいかないところ。マリア・カラスやエラ・フィッツジェラルド、サティが好きで、だけどドアーズ、キンクス、ベルベットも聴きますみたいなところは、守備範囲が広いと言えば広いが、エキセントリックな女の子というカテゴライズからすれば単にベタ。

そういう引き出しの多さ、守備範囲の広さが、強みでもあり節操のなさでもあり、だがそれゆえに彼女がインディペンデンスな歌姫たらしめているという理屈も通じる。
だけどメジャーシーンで成功した椎名林檎ですらある意味キワモノ的に見られているとしても、彼女も含めてメガヒットする人たちやプロデューサーたちが正攻法的に音楽を聴いて真面目にJ-POPの系統みたいなのを踏んでるのは、ベタで節操のない小島麻由美より正統ではあるが、その正統というのは結構いろいろパターンあるようで実は枝葉の少ない世界だったりするかもと思ったりする。

逆の意味で椎名林檎やEGO-WRAPPIN'、ジムノペディが小島麻由美と比べれば随分まともでウケやすいレトロ趣味志向の人たちだとすれば、倉橋ヨエコだとか黒色すみれ、ちょっと毛色が違うが犬神サーカス団なんかはレトロ志向の前衛というか極北みたいなところでカルト的にやっている人たちもいる(といっても、やっぱり80年代のゲルニカの焼き直しに感じるんだが・・・)。
こういうのを聴いていても、小島麻由美はニュートラルな意味で自由で好きなようにやってるんだなって思うわけだ(良いか悪いかとかじゃなくて好き嫌いの判断で)。
そういうカルトな人たちもたぶん自分が好きなことを好きなようにやってるんだろうけど、そういう志向の先っちょを徹底してやり続けていると、本来自分が好きなことを「好きなんだ」ってことが自分にとって強迫的に(ファンからは望まれるままに)やってるヤナ感じに変わって行っちゃって、それが緊縛プレイになっちゃってしまう、なんてこともある。


小島麻由美が程よくインディーでありながら節操なくニュートラルというのは、彼女の趣味がオペラやブルースやオールディーズやいろいろなところを引き出しにしてるってことと同時に、そういうセンスの中の美味しい部分、気持ちいいと感じる部分をとても正直でベタに取り出してくるってことで、彼女が感じるそういう気持ちよさってのは意外とオーソドックスでPOPである訳だ。彼女はエキセントリックでありながらミーハーでもあるわけで、いろいろ好きなものを雑多にいっぱい持ってる人って、当たり前のことだけど、それぞれの美味しいところを知っているからこそトータルに見ればウケる物の目利きもいいってことだ。

小島麻由美の目利きの良さってのは、彼女の楽曲の骨組みそのものが聴き心地のいい鼻歌みたいにキャッチーであるところに表れている。処女作とされてる『真夏の海』なんかそのいい例で、確かにレトロな感じなんだけど、メロディライン自体が単純に聴きやすい。

そして彼女のバック演奏を支える塚本功、清水一登、ASA-CHANGといった人たちがまたジャンルが多彩で達者な人たちなものだから、それが小島麻由美の楽曲のシンプルな良さに加えて玄人的に唸らされるようにディープな渋みを与える。ニコニコ動画でFM802で過去に放送されたスタジオセッションを聞いたけれど、『恋はサイケデリック』が小野リサみたいなボサ風味になったり、「わいわいわい」がむちゃむちゃ分かりやすいカントリータッチになったりしてて、改めて意外な器用さに驚かされた。


小島麻由美の現在のところのベストアルバムを客観的に選ぶのはすごく難しい。彼女のスタンダードナンバーを3つ挙げろと言われたらそれはもっとすごく難しい。曲の次元で言うならば彼女の名曲は『My name is blue』以降の「セシル」時代から大きく飛躍して洗練されたアルバムから選ぶのが普通かもしれないけど、「真夏の海」や「恋の極楽特急」のただただお気軽に愉快だったり切なかったりしてた「セシル」の曲たちも捨てがたい。アルバムの次元でベストを選ぶなら最も完成度が高いのはいろんな人が言うように『愛のポルターガイスト』だろうけどな。

でも敢えてこの項で『My name is blue』を取り上げたのは個人的な経緯もあるし、なにより前半の鬱な倦怠感の空気から、明るい陽だまりの中でゆっくり多幸感に包まれていくような、そういうアルバム全体の流れが良いと思ったからだ。

特に「黒猫」のあたりでブルーに落ち込みながら、「星に願いを」のところで少し光を感じて、「ひまわり」のところで確かな温かみに代わって、「あの娘はあぶないよ」で跳躍して、「わいわいわい」での思わぬところで大団円、という流れがいい。ライヴでよく最後の方で演奏される「ひまわり」はやっぱり個人的には一番好きな曲かもしれない。


椎名林檎と小島麻由美がプライベートで仲がいい、みたいな話を聞いたことがあるが本当だろうか。そうであっても別段不思議でもなんでもないことなんだが。
椎名が映画『さくらん』で作った歌(名前は忘れた)を聴いていて、それは僕からすれば小島麻由美が十八番みたいにやってた類のことのようで、椎名林檎がなんかぎこちなげに、でも今までと違うことをバーンとやってるところを見ると、もしかしたら椎名林檎はもっと早いうちにこういうことをさっさとやってしまいたかったんじゃないかって、そういう憶測を感じたりした。

ま、憶測だけど。




kojima_photo022.jpg






MY NAME IS BLUEMY NAME IS BLUE
(2001/09/05)
小島麻由美

商品詳細を見る




『天皇ごっこ』 / 見沢知廉


51N1P5TV3.jpg




天皇ごっこ
見沢知廉
第三書館 1995-12





見沢知廉といえば、一昔前はよくTVに出て、思想の左右を問わず、文壇の本流やサヴカルチャーの領域を問わず、一時期「寵児」として受け入れられていた感がある。

この「天皇ごっこ」が彼のデビュー作であるが、やはりタイトルからすでにこの人の基軸の激しさをはっきり打ち出している。この人でなければ書けなかった作品である。

著者は新右翼民族派の一水会に属し、スパイ粛清事件などにより12年の懲役刑に服した人。本書の大部分は獄中で看守の目を盗んで書かれたものである。
ちなみに著者は右翼になる前は新左翼に属していたこともある。

天皇という究極のタームに関して、右翼の目から書かれた前代未聞の小説。監獄、精神病院、右翼左翼、北朝鮮など、あらゆる角度から天皇制というものの意味性が暴かれていく。反天皇というよりも天皇制の根源的な部分を焙り出しシニカルに描いた観がある。

本書の中で「ロシアではあまりに皇帝制が長く続いたためにツァーリの亡霊がレーニンやスターリンに乗り移った」というような記述があるが、日本人と天皇制の関係をよく映し出しているような言葉である気がする。戦前の共産党が反天皇制を綱領に掲げながら逮捕されてことごとく転向した理由の一つに、天皇制を打倒することの恐怖を乗り越えられなかったことが挙げられる。

天皇制はこの国土そのものの権化であり、わたしたちの集合的無意識なのだ。

「天皇ごっこ」はそういった天皇たる存在と日本人たる存在を拡大延長した反映として北朝鮮を映し出したりしている。

我々日本人が皇室に対して、もしくはデモクラシーに対するその違和感に対して、はっきりと言辞を、タブーを、突破したときにのみ、我々日本人はお隣の「将軍様」に対して論破しうるのである。

かつて天皇の赤子であった「大本営放送」の記憶は、目くそ鼻くその友人である「平壌放送」とは臭い仲である。

またネオコン風土となりつつある最近の日本やアメリカにおける「不安と監視」を抑圧へ迎合させることをベースとした社会について、本書がすでに90年代半ばにおいて言及している節があるのも興味深い。

「天皇」は上からの統制のシンボルではない。むしろ、「赤子」たる側が「天皇」が「語りうる対象」であるかどうかにこそ、わたしたちの社会のリベラルが見え隠れし、暴力が照らし出されるのである。


その意味で本書は暴力的イデオロギー装置のからくりの根源的な要素をあくまでシニカルに解剖した作品ということができる。



SANY0039.jpg







天皇ごっこ天皇ごっこ
(1995/12)
見沢 知廉



女は女である


UneFemmeEUFemm.jpg


une3.jpg



UNE FEMME EST UNE FEMME
1961年 フランス=イタリア映画
監督:ジャン・リュック・ゴダール,ジャン・ピエールゴラン
撮影:ラウル・クタール
音楽:ミシェル・ルグラン
出演:アンナ・カリーナ,ジャン・クロード・ブリアリ,ジャン・ポール・ベルモント

あらすじ-goo映画




久しぶりに観たゴダールの映画。

20代の前半だった頃、男と女の関係が、僕にとって、生きるか死ぬか、みたいだった頃、ゴダールの男女と政治と闘争についての映画は僕には悲惨に感じられた。

ゴダールは現実を描くときに、現実から遠いところから中心をクローズアップさせる。
現実から程遠いのに、それが現実を極度に映し出しているかのように見える。

人はそれを「寓話」と呼ぶ。

そしてこの映画は男と女についての、ゴダール流の最も幸せな、ささやかな魔法に満ちた寓話。

初期のこの作品には、まだ『男と女のいる舗道』の悲惨さや、『気狂いピエロ』の攻撃性もない。

子供を欲しがる女とその彼氏、という単純なストーリーのアウトラインに沿った、幸せなラディカルだけが魔法みたく弾けている。

「子供が欲しい」とひたすら哀願するアンナ・カリーナが一途で可愛い。 

ラストシーンが最も幸せに満ちたゴダールの映画。



une4.jpg






女は女である HDリマスター版女は女である HDリマスター版
(2006/09/30)
アンナ・カリーナジャン=リュック・ゴダール

商品詳細を見る




«  | HOME |  »

ClockLink


無料ブログパーツ

プロフィール

hemakovich

Author:hemakovich
慢性鬱状態で活字を追うのは苦痛です。
電気ショック療法を受けたみたいに、
直前に読んだページの内容を忘れます。

思春期の衝動が、ハードロックに向かうか、
パンクに向かうかで、
人間の感性って分かれ道になるみたいですね。
自分はパンクでした。

たけしの映画より、
村川透のブルーがきれいです!
村西とおるのサイト、いいです!


My Profile by iddy


カテゴリ

index (1)
Book (13)
comic (1)
essey (1)
novel (8)
nonfiction (2)
その他 (1)
Music (15)
邦楽 (6)
洋楽 (8)
コンピレーション・サウンドトラック (1)
Cinema (21)
邦画 (7)
洋画 (13)
その他・PV (1)

PIXIE


最新記事


FLOQ



最新コメント


最新トラックバック


finetune



月別アーカイブ


ALPLAYER



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。